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2007年6月 2日 (土)

大串遺跡(第7地点)

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大串遺跡(第7地点)発掘調査の現地説明会に、行ってきました。大串町は水戸市の東の市街地を出た所で、平成3年に水戸市と合併する前は常澄村に属していました。ここの高台の周辺の低地との境付近には、沢山の貝殻や土器の破片などを含む地層が発掘され、縄文時代から弥生時代の古代人が食した貝の殻などを捨てた貝塚であると、されてきました。那珂川が造った周辺の湿地と涸沼に囲まれた高台で、海や川での自然採取の生活や、その後の水田での稲作にも、また、豊かな平野部に続く台地での自然採取の生活にも便利な立地条件が古代人の生活を支えていたことが、想像されます。

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この大串町の高台の陸田を開発して、老人介護施設を建設する前の調査として、試掘したところ、住居跡らしきものが発見されたためさらに調査を進めたところ、建設予定敷地のあちこちから、総柱式礎石建物、床束建物、側柱式掘立建物、竪穴式住居跡・竪穴建物、V字型や逆台形型溝跡などが次々と発掘され、礎石建物・掘立柱建物だけで8箇所、竪穴住居跡・竪穴建物4箇所、掘溝3箇所が確認されたということです。

しかも、建物や堀溝の跡は調査した敷地だけでなく敷地北の道路や、周辺の住宅敷地や畑の方へも伸びているようです。

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発掘調査を行った方の話によると、建物は主に8~9世紀のものであり、それ以前の竪穴建物も発見されていることから、弥生時代に発達した集落の跡にさらに建物がたてられたものとのことです。その殆どは柱間9尺をモジュールにした3間四方の建物であり、土を何層にも突き固めた土地上に建てられていることが、発掘断面の土の縞模様から判ること。、土台の下に拳位の石を敷き柱を立てた高床式校倉と思われる跡も数棟並んで発掘されていること。稲穂状や籾状の炭化米・須恵器の破片・布目跡のある瓦や文字の彫られた瓦などが出土していることなどから見て、台渡里廃寺跡長者山地区に有った那賀郡役所の出先機関の役所の一部で、正倉別院(租税として集められた米を貯蔵する倉で本院から離れた地域の租税管理を速やかにするための施設)の可能性がたかいとのことでした。

建設事業者の方には、ひとかたならぬご協力を頂きましたが、今後は、老人介護施設建設の予定の土地であり、山砂により発掘作業時の形状を残したまま埋め戻し保存した上で、予定の工事を進めていただくとの説明でした。古代から近世・近代への歴史の中で。空白だった中世のこの地方の歴史を描き出す貴重な資料を得ることのできる発掘作業結果だったように思います。

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