2006年2月 2日 (木)

タイトルを「自然・人と住まい」としたのは

 ココログを利用し始めたわけは、開始日2月1日に「はじめに」のなかで書き込みしましたので、今日はタイトルを「自然・人と住まい」としたことについて、思いを述べたいと思います。本当は建築をテーマとした記事を書くことはあまりのり気ではないのです。と言うのは昨今建築の世界では社会を騒がせる話題が続出しており、書いているうちにそのような問題に触れることも多くなり、ともすると書いた内容を誤解されて批判を浴びたり、めんどうな事になることも考えられ、自分も苦しい思いをすることが有りうるからです。耐震偽装建築やハートビル法違反の違法改造や、防衛庁の施設関係幹部の天下りや、大手建設会社の相次ぐ談合と本当に建築を業としている私たちには肩身の狭い話ばかり多く、建築関係者と言うだけで、あの連中の一人かと思われるのではと、一言々々の書き込みにも気を使ってしまう昨今の状況です。また、書き込みしている間に過去に自分のしてきた仕事の失敗、あるいは体制的にそうせざるを得なかった事もありますが、大型マンション建設に伴う環境問題で、近隣紛争に巻き込まれた思い出など苦い経験を一つ一つ思い出しながら書くことは、まったく苦痛なのです。

 でも、落ち着いて良く考えると、人々の生活にとって無くてはならない建物を造る仕事は必要なものですし、まったく投げ出してしまうわけには行かない、私たちに課せられた課題ですので、少しづつ書いて皆さんのご意見も頂いたりしながら、建築に対する考え方が良い方向に向かえばと言う思いで、重い腰をあげたということです。

 前置きが長くてタイトルを「自然・人とすまい」としたわけの話になかなか移れませんが、もう少しお付き合いいただけるでしょうか。もともと人のすまいと言うのは、自然の洞窟や崖にくりぬいた横穴で、自然のなかで生きてゆく為に、風雨をしのぎ、日中の暑い日ざしをさえぎり、生きてゆくための環境の確保でした。それが発展して、屋根を葺き、壁を設け、柱や梁で支え、自分たちにとってより良い生活が出来るように試行錯誤を繰り返しながら現代の建築の形へと移り変わって来るまでに、4千年以上の歴史を費やしています。その過程の中では、煮炊きや暖をとる為の火が元になって火災になったり、地震で折角の住居が崩れたり、高望みして造ったそばから崩れてしまったバベルの塔のような建物も有ったわけです。建築は自然から身を守り災害に強く、自然の生活の悪条件を取り除き快適な生活をするために、一歩ずつ築いてきた人間の知恵の結晶です。

 しかし今、新たな問題が起こっています。建築はその中に生活する人々を、守り快適な生活空間を生み出すだけでなく、周辺の環境、あるいは地球全体の環境に影響を与えるほど地球上にあふれ、言い換えれば都市化と言うことに寄る社会問題になっているのです。身近なところでは、南側に新しい建物が出来て日が当らなくなった。ハリケーンや台風で屋根が吹き飛んだ。津波や水害で建物が泥に埋まったり使えなくなった。予想以上に強い地震で建物がもたなかった。地震で倒れた建物から出火した火が周辺に燃え広がった。などニュースの種に事欠かない程の問題が発生しています。人体に有害な建材の使用禁止と、今まで使用された有害建材の処分の問題もあります。建築物内部の温度環境を一定に保つために使われるエネルギーの問題は全地球的自然環境への影響を及ぼしています。建材として使用する自然資源の量のバランスの問題もあります。

 私の小さな考えでは、対処しきれないほどの色々な問題を抱えながら、建築に携わる私たちの活動は進行しています。いつもそんな大きな課題を考えて、建築活動をしているわけでは有りませんが、自然との関わりを抜きにして、建築活動はできません。タイトル「自然・人と住まい」は、人の住む’すまい’を考えるとき、そんな自然との関わりを大切にしながら、より良い住生活の出来る様考えようと言う思いを表したものです。日本を愛し日本に根付いた、西洋建築をもたらしてくれた、フランク・ロイド・ライト氏も自然・人間・建築というテーマを深く考えてその著書を著しております。私がことさら言うことではなく、建築に携わる人たち皆の課題だと思います。コメントをお待ちしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 4日 (土)

建設廃材の処分

 いきなり建設廃材の処分の話から入るのは、私にとっても本意ではありません。本当はもっと夢のある建物を造ることについて書きたいところです。その方がこれからマイホームを建てようとしている奥様や普請好きな旦那様や、建築家をめざす若い学生さん達にも楽しく読んでもらえると思います。でもどうしてもこの問題をさけて建築を語ることができないのが昨今の建設業界の状況です。建築を行うときはたとえ何もない更地に叙却工事を伴わない新築をする時でも、必ず建築廃材がでます。建築資材は現場で加工することが多く、大き目の材料を設計や現場の寸法に合わせて切って使用するため余りった資材が廃材となるのです。比較的現場での加工の少ないプレハブ工法やプレカット工法でも、基礎は現場でコンクリートを打つため、余分なコンクリートを捨てて固めてから処分するとか、型枠をはずした後再使用できないものがあるとか、持ってきた資材の梱包なども廃棄する必要がでてくるのです。以前は建築物の解体や新築に伴って発生した建設廃材は、埋め立て処分する事が殆どでした。また解体工事は、機械で建築材料の種類にかかわらず、細かくしてまぜこぜに廃棄されていました。このことが原因で、処分場から有害な物質を含む液体が雨水と一緒に流れ出したり、焼却処分しようとすると大気中に煙とともに、有害ガスが放出されたり、焼却灰に不燃物が混じって焼却灰の量も膨れ上がり灰の処分に困ったりと色々な問題が発生しました。また埋め立て処分の費用を浮かそうと、指定以外の山あいや、堀穴などに不法に投機することも行われ、自然環境を破壊するなど、問題が頻発しました。

 これらの問題を解決するために、建築工事や解体工事に伴う建設廃材を現場で分別した上で場外へ運び出し、リサイクルできる資材については出来るだけリサイクルのルートに乗せるという事を目的に、平成12年に建築工事に係る資材の再資源化等に関する法律(建設リサイクル法)により、現場での分別収集と搬出についての方法が定められ施行されています。

 その様な訳で現在では、建設廃材はその種類ごとに現場内で分別して、搬出されております。参考に私たちの関わっている現場での解体処分工事の監理についてご説明したいと思います。建築工事(解体工事や叙却工事を伴うものは特に)の請負契約を建築主(工事の発者)と交わした後、解体工事等を叙却から運搬処分まですべて行う場合でなければ、運搬業者や処分業者と下請け契約を交わしていただきます。このとき、解体工事業者は解体工事業者の登録をしていなければなりません。また運搬処分も元請業者が行うのであれば、産業廃棄物運搬業や処分業の登録をしていること。下請け業者を使うのであればそれぞれの下請け業者が下請け区分に応じた登録をしていることが必要です。このことを契約書と登録証の写しで確認します。また産業廃棄物の運搬には、車両が一台ずつ運搬業の登録をしていなければなりませんので、使用車両のリストを提出していただきます。解体が始まったら、現場を確認し、安全な解体順序で分別して解体しているか、確認します。以前のようにミンチ解体と言うことで一気に混ぜこぜに解体することはできません。順番は一般的に、付属設備の搬出、内装材の搬出、屋根の解体、梁の解体、柱および壁の解体、基礎の解体、鉄筋とコンクリートの分別、解体した建材の搬出、杭の引き抜き、基礎に見合う分の埋め戻し、整地の順で行われます。廃材は、瓦・陶器・ガラス等埋め立てによる安定処分を行えるもの、石膏ボードなどのボード類、廃木材、コンクリート、アスファルト・鉄などに分別します。瓦・陶器・ガラスなどは最近ではさらに分別して、瓦の再利用、陶器は潰して粉状にして陶器として再生、ガラスは溶かしてガラス製品に再生、などもできる様になってきています。石膏ボードも再生工場へ持って行き紙の部分と分け石膏は粉状にしてボードに再生。廃木材は焼却し縮減することもありますが、チップにして木質系のボード等へ再生もおこなわれます。コンクリートは30~50mm以下に小割りにして、道路の路盤や、コンクリートの骨材として再利用、アスファルトは工場で成分を抽出して再生アスコンに、鉄はスクラップとして鉄くず回収業者の手をへて再度鉄鋼に再生されます。このうち建設リサイクル法で分別搬出が義務付けられているのは、木材・コンクリート・アスファルトの3品目です。搬出時には、トラックが登録されている車両か?積み込んだ量が適切で重量制限を越えていないか?運搬経路は問題ないか?荷姿が適切か?などをチェックします。また、搬送された先は指定された処分場であるか?搬出量と処分場で受け入れた量は一致するか?などを追跡調査し、最後は請け負い業者から提出されたマニュフェストで確認します。

 このほか、解体する既存建物にアスベストなどの有害物質が含まれている時は、解体作業員や周辺居住者などに健康被害が生じないよう、作業場所の密閉、換気、服装、撤去アスベストの搬出方法など特殊な作業基準や環境基準および測定方法が定められています。アスベスト含有建材の解体及び除去については後ほど別の機会にご説明したいと考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月16日 (木)

学校建築の耐震改修

 昭和25年に定められた建築基準法では、関東大震災の経験を基に、地震時に建築物の柱や梁に受ける曲げやせん断に対しそれぞれの部材が耐えられるように、建築設計の時点で部材の耐力を確かめるよう規定されていました。しかし建物の大規模化や設計の多様化に伴い、面的な構造強度や加重の偏りや各階層毎の強度の違いが、建築物全体の地震に耐えるかどうかに大きく関わっている事が、その後の被害事例でも明らかになってきました。このため、昭和46年及び昭和56年に耐震性能に関わる建築強度の判定基準が大幅に改正されました。現在では建築物の強度について、自重や積載加重、地震力、風圧力、積雪加重などに基礎や柱や梁、壁、床などが十分な耐力を有するかどうかの検討だけではなく、建物の規模に応じて、建物各階の平面上の強度や重さに偏りが有り地震などの揺れに対し捩れる力が異常に働くことが無いか?各階層毎の建物の強度に大きな違いがある為に、階層全体の傾きが大きかったり、他の階層に比べた傾く可能性が飛びぬけて大きい階が無いか?などを検討し建築全体がバランス良い強度に成っているかどうかを検討することになっています。また、これらのバランスを欠く結果が出た場合や、高層建築物の場合は、今までに体験していない大型地震が来た場合にも、建物の一部に被害が生じたとしても、建物全体が倒壊して建物利用者が軋轢死するようなことは無いように、建物の保有耐力を確保することになっており、保有水平耐力の計算を行って予定建築物の安全性を確かめる事と成っております。

ところで、この新耐震構造基準は前述しましたように、昭和56年以降に建築された建築物に求められた耐震性能ですので、それ以前に建築された建築物については、この基準を満足していないことになります。したがってこれらの既存不適格建築物と呼ばれる古い建築物の耐震性の向上を図ることが求められています。建築基準法は、すでに出来ている建築物に増・改築などの手を加えない限り適用されないため、国はこれらの既存不適格建築物の耐震性能の向上を促進するため、耐震性能促進法を定め、昭和56年の新耐震建築基準以前に建築された建築物に対し、積極的に耐震診断を行い強度の不足する建築物を改修し耐震性能の向上を図るよう、また性能の向上する建物の工事については、工事費に補助を行ったり、建築確認の際に受ける制限の一部を免除して改修工事が行われやすい様に制度の整備を行いました。特に災害の際の防災拠点となるような施設や、不特定多数の人々が利用する建物については、優先的に耐震改修工事を行うこととしており、学校建築の耐震改修はその筆頭に上げられております。

 通常、学校建築のうち教室棟は皆さんもご覧になると判るように、東西のつま側や教室間には、地震時の変形防止に役立つコンクリート壁が設けられているのですが、南面は採光を確保するため、また北側は廊下を明るく使いやすいものにし、南側の窓と合わせて、通風の良い建物とするために、大きな開口部が連続して設けられております。北面は階段室や便所など開口部が少なめですが、南面は耐力を向上させるための壁が非常に少なく出来ております。また、南北方向の地震時の変形は東西方向に比べてスパン数が極めて少ないため起こり易い形状をしています。

今回、2校2棟の耐震改修工事にたずさわりましたが、1棟は鉄筋コンクリート3階建て、1棟は鉄筋コンクリート4階建てで、耐震強度に満たないという判定でした。特に4階建ての方は、通常行うような耐震用のブレースを入れるだけでは強度の確保が難しい。耐震壁や耐震ブレースで補強すると箇所数が多く使い勝手が悪くなってしまう。という問題が生じました。幸い少子化により生徒数の少なくなっている地域の学校でしたので、教室数は十分確保できるということで、4階部分を撤去し3階建てにすることによって、建物の下層部分にかかる荷重を減少させ、建物全体の重心を低くし南北方向への地震地の変形を少なくする事が出来ました。また、東西方向の地震変形に対しては数箇所の開口部に鉄骨を加工したK型ブレースを設置し補強することになりました。建設時から30年程を経過した建物は、外壁にヘアクラックが入ったりモルタル部が剥離したり、塗装も変色したりしていました。内部も建具の開閉がしづらくなったり、設備の故障も多く時代に対応できにくい古いものだったりと言うことも有り、構造上の改修や補強だけでなく、併せて外壁の補修塗装や内装材の張替え設備器具の交換なども行い、新築に近い全面的なリニューアルを行うことができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 7日 (金)

増水時の柳堤水門

 前回、桜川から備前堀へ配水するための水門である柳堤水門をご紹介しましたが、ここ2~3日激しい雨が降ることが多かったため、余分な水を桜川下流へ大量に排水していました。動画をご覧になって判るように、ラバーダムはラバー内の空気を抜いて、越流し易いようにチューブの上端の位置を通常よりさ下げて、放流する訳です。工事などで上流の水位を極端に下げたり、堀を使用せずに空堀にしてしまう場合など、完全に空気を抜いて川底と同じく平らにしてしまうことも出来ます。

ダムのすぐ上に架かっている橋は柳堤橋ですが、下流にある石垣橋もデサイン的に良く似た橋です。

今回の雨は上空の寒気団に夏の湿った高気圧の暖気がな流れ込み激しい雨を降らせたもので、この雨雲が次々と東へ移動して、強い雨を断続的に降らせたものということです。九州他関西では、崖崩れなど被害が大きかったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年9月25日 (月)

六本木ヒルズ森タワー

 東京・六本木ヒルズ森タワーを見学してきました。 建築や再開発事業などの分野でも興味あるところでしょう。 リンクしましたのでこちらをクリックしてご覧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月16日 (火)

街づくり(水戸市)

P9150547s_3

 水戸市の旧市街地でもっとも賑わいを見せた、南町商店街とそれに続く黒羽町を、しばらくぶりに歩いて見ました。黒羽町は、車社会が進行するほどに狭くなって、昭和40年代頃だったと思いますが、車のすぐ脇を人が歩き危険を感じるような状態が続きましたので、一方通行を実施すると共に、道路の拡幅が計画されました。 道路の拡幅の用地確保のため、建物の1階部分の外壁の後退ラインを協定し、建築行為のある都度ごとに後退して建築してもらっていました。しかし、そうそう次々建て替えがある訳ではなく、後退したあとの敷地の整備も建て主任せで、高低差もあり仕上がりも使い方も非常にまちまちで、車をかわす待避所程度にはなっても、とても歩道の用に供せられる状態ではありませんでした。そんな時期がしばらく続いて、外壁の後退制限がある事など忘れかけていましたが、やっと黒羽町の人たちと行政の努力で、後退敷地を整備する事が出来ました。P9150549s 最後は、後退の済んでいない古い建物の部分も協力頂いて、石畳の街のような赴きある街並みに成りました。歩車道分離や電柱地中化も実現し、楽しく買い物をしながら歩ける街になりました。平成20年(完成は19年度か?)まで30年以上かかり、計画当時の市職員は退職しているほど長い時間のかかる事業でした。

 水戸市の中心商店街は、水戸駅北口や南口の再開発事業が成功し、水戸駅前に一極集中の感がある様ですが、黒羽町に続く南町商店街は、さすがに繁華街としての歴史もあり、夏の間は花壇にあふれるほどの花が咲き、美しい街を演出しておりました。最近は紅葉の枝を差したりしていますし、クリスマスイルミネーションも期待されます。日曜日なのにシャッターを閉ざしている店もあり、少ない組合員での努力には涙ぐましいものがあるのではと思いますが、これからも”水戸は商業都市”として、水戸市民が誇れるよう努力を続けてほしいと思うと同時に、この地域にショッピングに出かける人が増え、新しい店舗の出店がされ、今一度、黄門まつりの時のような賑わいを取り戻してほしいと願うものです。

P9150548s_2 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年2月18日 (水)

茨城県フラワーパーク

015
 上の写真は、茨城県フラワーパーク内の芝の広場です。
冬の芝生は茶色ですが、それもこうしてみると悪くないなと思います。青空を背景に婦人の銅像と冬枯れの木立が冬の広場を演出します。
茨城県の県名は常陸風土記にも記されているように、この地方の土着民が野茨の茂みの棘の城に守られ、難を逃れたことに、端を発しています。茨城の県花はバラ、県章も開き始めたバラの蕾をデザインしたものです。茨城県フラワーパークでは県の花であるバラを冬でも切花用としてたくさん栽培し、温室内で咲かせています。野外のバラ園では、やがて来るバラの花のシーズンに備えて、剪定や施肥に忙しい時期になっています。
034
 フラワーパークの園内からは、筑波山を直ぐ近くに望むことが出来ます。筑波山はそれほど高い山ではありませんが、北関東の平野部に聳える男体、女体の二峰の美しい姿は、古く万葉のむかしから、人々に親しまれ、信仰の対照になっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月29日 (日)

完成した寿橋

 平成10年の洪水により流された寿橋の架替えが済み、
道路が開通しました。
P3290415
【完成した新寿橋】
寿橋は旧陸前浜街道の水戸を通って那珂川を渡る渡し舟のあった位置に架けられた木橋で、度々洪水被害に会っていましたが、平成10年の洪水で流されて以来なかなか復旧が進まず不便な思いをしていました。
長距離の交通に対しては、6号国道水戸バイパスとして架けられた水戸大橋がありましたので、不便は無かったのですが、水戸市城東と勝田市(現在のひたちなか市)枝川を結ぶ寿橋は地域の人々にとって非常に便利な橋でしたので、この間を遠回りをして行き来するのは大変な事でした。特に枝川地区の高齢者の方々は、日常の買い物というと、城東のスーパーへという事が出来ない不便な毎日を過ごしていましたが、やっと念願かなって、この平成21年3月に新寿橋が完成したのです。
P3290416
【橋上、城東から水府町方面へ】
 橋の位置は以前より上流の水戸大橋と水府橋の中間地に設けられ橋の工事に伴って、城東側の都市計画道路も整備され、対岸も旧6号国道へ直接つながり、非常に通行しやすくなりました。車線の両側に幅の広い歩道も設けられ街灯や信号も整備され、以前の寿橋と比べると格段に現代的なものとなりました。
私は良く対岸の水府町のゴルフ練習場へ以前から通っていましたが、まるで町内の練習場と想われるほど近くに感じるように、対岸の町が身近なものとなりました。
P3290419
【新寿橋から見た6号水戸大橋・・・・・以前は、この橋との間に旧寿橋が有った】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

水戸の夜景

Imgp3718
 こちらは水戸駅南口の夜景です。
30年数前は国鉄の操車場や機関区、工事区、車掌区などの建物が有った他は殆どが水田地帯だった水戸駅南地域も。今や水戸市内で一番の商業集積地域となっているようです。
ホテルテラスザガーデン、ダイワロイネットホテル水戸、COMBOX310に続いて昨年暮れLABY(ヤマダデンキ)をキーテナントとしたMITO South Towerが完成。さらにJR東日本もテナントビルを建設するという計画が噂されています。
 その分、駅を離れて買い物に行く必要が無く、一寸離れた南町、泉町、大工町などの旧商店街からの客足が遠のき、賑わいを失っているというのは、以前の水戸市を知る年配者には本当に実感されることの様です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)